国土防災の名の下、国民は安全安心な生活を送らねばならない。雨が降ったから集落全体が水没する等、今の時代にあり得ない現実の事態が繰り返されている。いくら学問を積んでも、いくら福祉を充実させても、いくら財産の増強を図っても、家ごと流れてしまってはどうしようもない。このような状態が現実に毎年起こっている。国家の予算配分もまず国土防災が第一優先でなければならない。

 行政は支援という言葉を良く使うが、一定のところに支援をしたらその他のところには必ず不公平が生じる。国民は納税義務で皆税金を納付しているのに、ある一定の品物を購入すると金が戻ってくる。例えば、省エネ車や省エネエアコンを購入すれば還元される。何千何百万とある商品の中で、商品を特定するとはどういうことか。省エネの自動車のどこが国のため国民のためになっているのか。自転車を買った人がもっと省エネではないか。省エネエアコンでも電気を消費している。それなら団扇を買った人に還元すべきではないか。さらに言えば何も買わない者が一番省エネに貢献している。なぜ政治家や行政は、一部の者の人気取りに小手先を使うのか。

 消費税を上げたら上げたで、色々と国民に気を遣って還元の方法を考えて複雑なルールを作っている。それだけ気を遣うなら消費税を増税しなければ良いではないか。還元する金があれば、その金を堂々と「国土防災」に使うべきではないか。国民が一番納得できる使い方である。

 毎年のように繰り返している河川の氾濫は国民に逃げることを教えるための教材ではない。今の時代に地球上の覇者である人間が毎年溺死している現実を行政も政治家も国民ももっと真摯に受け止めて、根本的な解決をしなくてはならない。香港では「悪いことをした者の処遇」でさえ、あれだけのデモを行って国民の主張をはっきりと訴えている。日本は有史以来繰り返している自然の営みの梅雨で毎年集落が浸水し人が死んでいる。役所をはじめ、政治家、防災関係者が口を揃えて「想定外」だと自然に責任を転嫁しているが、これでは未来永劫、国民は安全安心を享受できない。いくら猛烈な雨が降っても、たかだか100ミリ、200ミリで革靴が浸かる程度、一日降り続いても500ミリ、600ミリくらいで大人の脛の位置である。これが防げない筈がない。避難して解決するものなど何も無い。物事は必ず原因が有って結果に繋がっている。科学に軸足を置き、原理原則で原因を突き止め、早急に抜本的解決を図らねばならない。

 行政を中心としたこれまで防災に関係してきた一連の者達が土堤原則に始まる前例主義の古い考え方を一掃し、「思考革命」を図り、最新の科学に則った新しい考え方の上に立って、「防災構造物は責任構造物であって、確りと粘り、壊れないものだ」と定義しなくてはならない。国民も繰り返される被災を想定外だからと認め、毎年のように人柱として犠牲者を送り込む訳にはいかない。防災に使われる税金の総額は大きい。それを無条件で行政に預けて全てを任せているのだから、いつまでも「想定外で自然界の責任だ」と言わせていてはいけない。国民は、防災に対する知識を高め、原理原則の普遍性を認識し、行政に対する意識を尊敬の念から科学の大切さに置き換えた上で責任の所在を明らかにせよと立ち上がらなくてはならない。このままでは日本の防災技術は世界の最下位となり、国力は大きく疲弊し国土崩壊が始まる。